ビリギャルの著者、坪田信貴さんに聞く「子どもを伸ばす親の在り方と新聞の活用法」【前編】
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称ビリギャル)の著者で坪田塾の塾長である坪田信貴さんに、子どもの伸ばし方や親としての心構え、新聞の活用法などについてインタビューしました。
「あなたが本当にやりたいことは何?」と子どもに問いかける
―これまで1,300人以上の子どもたちに個別指導されてきたそうですが、子どもたちに接するときに心がけていることを教えていただけますか?
坪田さん:僕は、大切なお子さんを預けてくださる親御さんの思いを大切にしたいと思っています。
女性は妊娠すると、十月十日ずっとお腹の中に赤ちゃんがいて、体型も変わるし、赤ちゃんのために食事も生活も一変します。
僕にも子どもがいますが、お母さんは妊娠から出産まで、いろんな葛藤もありながら、命をかけて出産します。そしていざ子どもが生まれたら、夜泣きはあるわ、何時間に1回母乳をあげたり、寝られなかったり、24時間365日体制で、自分以外の人間に人生を捧げています。そうして必死に、大切に育ててきたお子さんを「受験」というタイミングで、私のところにお任せしてくださるわけです。
その受験という人生の中の大切な時を預かるということは、とても責任を感じます。親御さんが今まで育てられてきた時間や想いなどを思うと、むしろ、責任という言葉では軽すぎるとも思いますが。
坪田塾では沢山のお子さんをお預かりしますが、毎回、子どもが生まれてから10数年育ててこられた親御さんの思いと、大切に育てられてきたお子さんの思いを実現したい、そう思って面談に臨んでいます。
でも、ひとつ問題がありまして、実は僕と出会う前に、すでにお子さんのなかに「枠組み」というものが出来上がっていることが多いのです。
枠組みってどういうことかというと、例えば、僕が塾に来てくれたお子さんの夢を聞いても「芸能人になりたいと思っていたけど、学校の先生に『そんなの絶対無理』と言われた。だから無理だと思います」と言う子が結構いるんです。
―学校の先生に無理だといわれたから、無理だという子がいると。
僕たち教育者が、子どもの夢に「芸能人になるなんて無理だよ。芸能界っていうのはそんな甘いもんじゃない」と言ったり、「これぐらいの偏差値や成績だったら、ここは絶対無理」などと言うことは、子どもに大きな影響を与えてしまいます。
「そりゃ無理だよ」と言った瞬間に、本人と親御さんの人生が変わってしまうことになるんです。
教育者は神様じゃないので、その子の人生について、僕が何かを決めることはできないし、可能性を限定することはできません。
だからこそ、「本当にあなたがやりたいこと、なりたいものってどういうことなの?」と、子どもに寄り添うことを一番大切にしています。
ただ、お子さん本人に聞いてみても、最初に「こうしたいです」と言うことは、実は本当にやりたいことではないことがほとんどです。
まわりからの期待や偏見で、自分に対する先入観が出来上がってしまい、本当はこうしたいのに「自分には無理だ」と思っているから、「私がやりたいのはこれです」と言えなかったり、そもそも実現につながる方法や、選択肢を知らなかったりということが多々あります。
なので、その隠れた前提をいったん全て取っ払って、本当にその子が、あるいは親御さんが望んでいることは何だろうと考えます。
例えば、親御さんとしては「とにかく成績を上げてほしい」と言う人もいます。でも、聞いてみると、本当はそうでもなくて。真の望みは「この子に幸せになってほしい」ということだったりします。
反対に、そのお子さんに「君の幸せってなに?」と聞くと、「お母さんから認められたい」とか、「お母さんを幸せにしたい」だったりするんです。
それなのに、お母さんは「どうしてこんな成績なの!」「バカなの?」みたいな感じで怒っていたりするわけです。
僕の目の前で「いい加減にしなさい」「どれだけお金かけたと思ってるの!」と怒ってしまうお母さんもいらっしゃるので、「それって本当にこの子を幸せにしてるんですかね?」と、気づいてもらうところからスタートすることもあります。
―そのお母さんから最初は反発もされそうですね。
されますね(笑)でも、お母さんもお子さんも、お互いに本当の気持ち、ニーズを知るためには必要です。そのためには、まず信用してもらわないといけない。だから僕は、お子さんはもちろん、親御さんにも徹底的に寄り添うことが、最も重要なことだと思っています。
WHYを繰り返していくと、その子の考えが見えてくる
―「隠れた前提」を取り払うためにどんなことをされていますか?
坪田さん:よく講演会で話をするのですが、「1、2、3、4、5、6という数字が目の前にあります。次に、好きな数字を一つ思い浮かべてください」。
すると、皆さん1~6の中から数字を一つ選んで答えます 。
でも僕は「この中から選んでください」なんて一言も言ってないんです。だから、本当は3億2648万4565でも、0.4でもいいはずなんです。
―種明かしされるとハッと気がつきましたが、私も1~6の中から数字を選んでしまいました。
これと同様に「志望校はありますか?」と聞くと、大抵のお子さんは日本の大学を答えるんですよ。別に、ハーバードでも、オックスフォードでもいいし、北京大学、ミラノ大学でもいいし、そもそも大学じゃなくてもいいんです。
それなのに、大学に行くことが前提になっていて「私の偏差値はこれぐらいだから、この志望校くらいかな」ってみんな必ず言うんですよ。
だから、どういう前提に基づいて、その志望校を挙げているのかをまず聞くようにしています。例えばその子が、「〇〇大学」って言ったとしたら、なぜその大学なのか、whyを5回ぐらい繰り返すと、その子の持ついろんな先入観が見えてくるんですよ。
例えば、ある生徒が「この学部で勉強したいから」というので、「その学部って別に他の大学にもあるよね。なんでそこなの?」と聞くと、「東京に憧れているから」という返事がありました。
「でも東京の大学は他にもいっぱいあるじゃない。なんでその大学なの?」と聞き返します。
すると「私の偏差値だとMARCHぐらいかと思って」
「じゃあ、その中でなんで〇〇大学なの?」と聞くと、意外とそれが「1回オープンキャンパスに行ったんです」というんです。
「じゃあ、他の大学のオープンキャンパスって行ってみた?」
「いや、行ってないです」みたいな感じだったりします。
「とにかく、すごい校舎がきれいで大きくてカッコよかったんです!」みたいに、理由が単純にただ最初に接したからその大学がいいって言っているだけだったりするんですよね。
その子が言うことに対して「じゃあ、これってどうなの?」と聞いていくと、結局「自分の偏差値的にいうとこれぐらいだろう」というような前提条件がだんだん分かってくる感じですね。
だから、whyを5回繰り返したり、類似条件を伝えたりすると、その子がなぜそう言ったのか、いろんな価値観や先入観が見えてきます。そこから選択肢を広げたり、新しい可能性を一緒に探っていくようにしています。
親と子の希望の折衷案を考えていく
―子どもが選択肢を広げた時に、親御さんが反対することはありませんか?
坪田さん:そうですね、親御さんにも先入観がいっぱいあるので、反対されることも多々あります。
例えば、親御さんが「私は〇〇大学に行ってほしいんです」とおっしゃる。「どうしてですか?」と聞くと、「先生になってほしいからです」と。僕が「じゃあ先生だったら別にそこじゃなくてもいいじゃないですか」と聞いていきます。
もちろん、このように単刀直入な聞き方はしないのですが、親御さんの話をよくよく聞いていくと、「子どもを手元に置いていた方が安心だから」という気持ちが本当の理由だったりします。
また「手元に置いておきたい。実家から大学に通ってほしい」という親御さんの本当の理由が、実はお金の問題だったりするケースもあります。
そういう親御さんには、「実は東京のここの大学だったら学費はタダで、寮もあるから、むしろ地元の〇〇大学に行くよりこっちの方が安いですよ」って教えて差し上げることもあります。
すると「えっ、そうなんですか?!」とすごく喜ばれたりします。
でも、こうやって子どもと親御さんの希望の折衷案を考えていくことも、僕の役割だと思っています。
―塾は受験勉強のための場所というイメージが強かったのですが、勉強をはじめる前に、本当にしっかりとお話をされるんですね。
坪田さん:そうしないと、結局途中でいろんな言い訳が出てくるんですよ。
お子さん本人や親御さんが最初に言ったことだけを前提にして受験勉強を進めていくと、途中でお子さんから「本当は先生になりたかったわけじゃない」とか「本当は東京に行きたかった」という本音が出てきて、勉強が進まなくなります。
夢はないけれど、大学には行きたがる子どもたち
坪田さん:最近の子どもたちは意外と夢を持ってないんですよね。中高生になると特に9割方が夢を持っていないと言っても過言ではないです。
幼児期は、例えば仮面ライダーになりたい、ケーキ屋さんになりたい、サッカー選手になりたい、という夢があるけど、中高生になるとなくなっていく。びっくりします。
それが良い悪いは別として、夢がないというのが事実なんです。それなのに「受験勉強をして大学に行かなきゃ」と言います。
「どうして? 何のために受験するの?」って話じゃないですか。
目的がないのに、とりあえず大学には行かなきゃ、高校には行かなきゃと言う。
「なんで高校や大学に行くの?」と聞いたら、結局、「いや、みんな行くし」「行っておいた方が、後々の選択肢もあるだろうから」みたいな感じなんですよね。
こうして目的意識がないまま勉強するんですけど、それを例えるならば、地図で目的地がないのに、取りあえず走ろうとしているのと同じなんです。
例えば、東京からスタートして、取りあえず走らなきゃいけないから走りますと北の方に向かったとしますよね。でも途中で気づくんですよ、「私が行きたいのは鹿児島だった!」って。
とりあえず北に向かって、ものすごく努力をして100キロ走ったとするじゃないですか。途中で違ったと気がついて、また元の場所に戻らないといけないなら無駄足です。もしかしたら最初から飛行機に乗っていたら早かった、ということもあるかもしれません。
だから目的地を決めておくことがすごく大切なんです。それで無駄に終わってもいいのですが、最短距離を行こうと思うのなら、先に決めておくことはすごく重要です。
たとえ思うような結果にならなかった場合でも「目的があって努力をした」ときと「ただ何となく、誰かに言われてそうなった」ときでは、学べることが全然違ってきます。
ですから、やっぱり最初に目的を設定しておくことはすごく大切なことだと思います。
目的=志を決めると勉強の効果が全然ちがう
―夢は持っていなくても、目的地を持っておいた方が良いということでしょうか?
坪田さん:はい。目的と目標って違うじゃないですか。
目的というのは「的」で、目標は目的に行くための「途中の目印」なんですよ。ボーリングで言うと、目的がピンで、目標はそのレーンの途中にある三角形の目印です。
その三角形の目印を通ったら、的に到達しやすいんですけど、ボーリングではそこを通らなくてもピンが倒れることがあります。つまり、目標を通過しなくてもピン(目的)には到達します。
大学とか夢とか、なりたい職業は、あくまで目標なんですよ。だから東大に行ったからって、本人の望んでいる目的が得られるかどうかは分からないんです。
でも、目的をもって途中の目印として目標を立てて進んでいったら、もしも途中でその目標が難しくなっても、目的さえ見失わなければ新しい目標をつくって進めるんです。だから、どちらかと言うと目標よりも目的を決めた方がいいんです。
僕は「目的=志」だと思っているんですけど、志を決めた方がいいです。例えば、世界中の人を幸せにしたいとか、お世話になった人に恩返しをしたいとか。
「じゃあ、目的が“世界中の人の幸せ”だとしたら、この目標を通ったほうがいいんじゃない?」という話をしながら、選択肢を考えながら、目標と現状との間のギャップをどう埋めていこうかと一緒に考えるのが僕の仕事だと思っています。
ですから、まずその子の目的や現状を知りたいと思っています。勉強の前に、この話をしておくだけで勉強の効果が全然違ってきます。
―それをしっかり知っていたら、坪田さんのように「教えるプロ」じゃなくても、例えば、親御さんもお子さんのサポートがしやすいですよね。
坪田さん:そうなんです。でも、最初はみなさん目標のところだけに注目して、志望校に合格するための点数や偏差値だけをどうにかしようとしてしまいます。
新聞の情報から、背景を推察して自分なりに理解することが大切
―目的が明確になったお子さんが目標に到達できるように、子どもの学力アップや成長と言う点では、新聞はどのように活用できると思いますか?
坪田さん:新聞ってめちゃくちゃいいんですよね。これは取材だから言っている訳ではなくて、僕は本当に重要だと思っています。
今はネットでいろんな記事を読めるし、新聞は読まなくていいと思う人もいると思います。でも、新聞には「文字数制限」があるところに素晴らしい価値がある。
ネットだといくらでも文字を増やして書けますが、新聞は紙面が限られている。だからこそ、必要な情報・伝えたいことを、かなり凝縮して、一つの言葉で過不足なく伝わるように編集され、練りに練って書かれているんです。
新聞は情報を濃縮した原液みたいなものです。例えば、カルピスの原液ってそのまま飲めませんよね。
そして、ここが重要なのですが、その原液のような情報から、僕らは自分で背景を推測したり、他の情報を集めて水で希釈して、ちゃんと「飲める=自分なりに理解する」ようにしなければいけません。
これは人生においても同じで、大切な姿勢です。
例えば、誰かからうわさを聞いたときに、その情報の“てにをは”や細かい部分から「今のは大げさに言ってるんじゃないか」「ここは本当っぽいな」ということを、自分で推測・予測しながら受け取らないといけません。
それなのに、5ちゃんねる(ネットの掲示板)に書いてあるようなことを全部うのみにしていたら、情報に振り回されるし、とんでもないことになりますよね。
新聞は、記者が取材した内容を記者のフィルターを通して濃縮して書き、それをデスクや編集者が、さらに「これはもっとこうした方がいい」と編集されています。
それぞれのデスクや編集者、新聞社の方針というフィルターを通して書かれているものなので、同じニュースでも、新聞によってテイストが違います。
新聞を読むことを通して、記者や新聞社のフィルターを想像したり、予測したりして、情報を読み取る練習をすることが大切です。
こうした読み方をすることで、日常生活で見聞きしたことにも「真実はここにあるんじゃないか」と好奇心をもったり、あるいは「私はこの人のフィルター(ものの見方や考え方)が好きだな」などと考えることを通して、自分なりのフィルターを作っていける子になります。
そうすると日常生活でも、うそや噂うわさにだまされたり、振り回されにくくなります。
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